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北野・西陣でつづられ広がる伝統文化

町を歩けば知らなかった
歴史・文化が見えてくる。

雅やかな京の伝統工芸・西陣 織。その生産地域一帯は「西 陣」と呼ばれ、職人が暮らし、 ものづくりの文化を育みな がら発展しました。そして その西側には、朝廷や武将からの篤い信仰を受けて歴史を重ねた「北野天満宮」。その東門前には京都五花街のひとつ「上七軒」。それぞれの地域で育まれた歴史や伝統をひもとくと、地域同士の意外なつながりや歴史的なエピソードが見えてきます。

「じつはここってそうだったんだ!」
そんな 発見 を探しに、さあ町へ出かけましょう。

左:撮影協力/公益財団法人 手織技術振興財団 織成舘 右:着物協力/西陣織会館

発見北野

日本文化の礎を築いた北野の天神さんと花街上七軒

上七軒のはじまり

北野天満宮の東門前に広がる上七軒。京都五花街のひとつで、昔ながらの風情を残す町の歴史は、室町時代、北野天満宮の社殿が一部焼失したことによる修理の際、余った資材で7軒の茶屋を建てたことにはじまります。これらは七軒茶屋と呼ばれ、豊臣秀吉が「北野大茶湯」という大茶会を北野天満宮で開いた時には、休憩所として使われました。ここで食した御手洗団子を気に入った秀吉。ほうびとして御手洗団子の販売特権と山城一円の法会茶屋株(公的な茶屋の営業権利)を与えたそうです。西陣織の最盛期には、西陣の旦那衆が上七軒のお得意様。西陣の繁栄が花街・上七軒を盛り立てた理由のひとつといえるでしょう。

① 北野の天神さん

947年に平安京の「天門」(北西)に創建され、学問の神様として信仰される菅原道真公を祀る全国天満宮の総本社。伝統芸能・歌舞伎・茶・菓子など日本文化の礎を築き、地域の文化的拠点として親しまれています。現在も国宝の本殿や史跡御土居など、歴史的文化財や遺構を数多く境内に残し、天神信仰発祥の地として全国からの参拝者で賑わいます。

北野天満宮
上京区馬喰町 075-461-0005

② 紅葉名所の約400年前

京都を敵や洪水から守るため、「御土居」と呼ばれる土製の堤防のような城壁で町を囲んだ秀吉。北野や西陣にもその壁はつくられ、北野天満宮の境内西側にその跡が残っています。その周辺は「もみじ苑」として季節にあわせて特別公開。

③ 芸妓さん、舞妓さんに会えるのは?

北野天満宮の行事に出かけると上七軒の芸妓さんたちに出会えることもしばしば。たとえば「梅花祭」(2/25)。この日は秀吉が1587年に行った茶会にちなみ、野点大茶湯を行います。上七軒の芸妓さん、舞妓さん、女将が総出となって催すこの茶会。梅の花も咲く中、境内は華やかな雰囲気で満たされます。

④ みんなの休憩処、じつは...

参拝者の休憩スポットになっている絵馬所。じつは約320年前に建てられた歴史・規模ともに大変貴重な建築物です。見上げると迫力ある絵馬や地元・西陣織製の絵が飾られ、まるで野外ミュージアムのような世界が広がります。

発見西陣

はじまりは平安時代 名の由来は応仁の乱

絵/真如堂縁起 真正極楽寺(真如堂) 蔵
応仁の乱は、「小京都」の誕生など京の文化が全国に広まる契機となったともいわれています。

西陣織の一大生産地「西陣」地域で織物生産がはじまったのは平安時代。当時の朝廷には、織物や染物をつくり管理する織部司という国の役所があり、職人たちを抱えて高級織物を生産していました。次第に役所のシステムは衰え、職人たちは自ら織物業を営むようになります。
室町時代には、西と東にわかれて戦った「応仁・文明の乱」(応仁の乱)が勃発。この時、避難していた職人も乱後には元の地に戻り、織物業を再開します。西軍の陣があった地域は西陣といわれ、生産される織物も「西陣織」と呼ばれるように。
それから500年以上にわたり、時代の荒波の中で盛衰を経験しながらも、時の権力者による保護や海外からの技術導入、さらには京都の厚い文化基盤に支えられ、技をみがきながら世界に誇る織物として現在に至っています。

百々橋(どどばし)という橋を挟んでにらみあった東軍と西軍。現地には橋の礎石が遺される。

堀川上立売付近にあったとされる西軍大将・山名宗全(やまなそうぜん)邸宅跡。この付近や船岡山一帯が西軍の陣地となった。

東軍大将・細川勝元(ほそかわかつもと)の邸宅跡の南に隣接する小川公園には「東陣ゆかりの地」説明板が立つ。

町も織物仕様

西陣織は工程ごとに職人が異なる分業制で、同じ地域に集住。そのため地域一帯がひとつの織物工場のような町として発展しました。そんな町を印象づけるのが京町家です。作業場兼住居となった町家は西陣特有。織機が置ける土間、外光を活用するための天窓や格子。仕事にあわせた工夫が見られます。

今宮さん、この碑は一体?

西陣の氏神である今宮神社。その境内に祀られているのが「織姫神社」です。織りの作業で使う杼という道具をかたどった燈籠を据え、織物・技芸の神をご祭神として祀ります。西陣の日(11/11)には西陣織関係者による祭典も斎行。
※西陣の日の祭典は年によって斎行されないこともあります。

今宮神社(いまみやじんじゃ)
北区紫野今宮町 21 075-491-0082

5月の今宮祭は平安時代に起源をもつ西陣の祭り。一時中絶するも5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院が西陣出身だったゆかりもあり復興。
巨石に込めた想い

大正時代の建築で元・西陣織物館の「京都市考古資料館」。その前に建つ高さ約3メートルの石碑は西陣織の歩みを語ったもの。きものショーや織物体験で西陣織の魅力を伝える現在の「西陣織会館」前にはその複製を展示。歴史だけでなく、未来へ西陣織を紡ごうとする人々の心も感じさせます。

西陣織会館(にしじんおりかいかん)
上京区竪門前町 414 075-451-9231

京都市考古資料館(きょうとしこうこしりょうかん)
上京区元伊佐町 265-1 075-432-3245

発見食文化

町に息づくおいしい話

スイーツにも歴史あり

北野の町に伝わるのは、寺院や神社だけではありません。長い歴史を持つ、伝統的な味も残されています。たとえば、秀吉が名付け親と伝わる「長五郎餅」、江戸初期からロングヒットを続ける「粟餅」。こうした歴史グルメを探し歩くのも楽しいエリアです。

長五郎餅(長五郎餅本舗)/粟餅(粟餅所・澤屋)

暮らしを支えたデリバリー

お客さんの注文を聞いて調理し、指定日時に合わせて届ける。そんな「仕出し」のシステムが育まれた西陣。法事や来客のもてなしといった特別な時だけでなく、日常的な食事にも活用されていました。食事の準備をする余裕がないほど、家族総出で織物業にいそしむ、そんな西陣の繁栄を支えた仕出し文化。今も地元がひいきする、仕出し店や料理屋が西陣には残っています。

職人好みのファストフード

西陣の町には織物関係の業者や町家が建ち並ぶ中、昔ながらの食堂や喫茶店なども点在しています。日夜作業に追われた職人には、丼やパンなど手軽に済ませられる食事が好まれたとか。町の人々に親しまれてきた味。今は評判を聞いた遠方の人が足を運ぶ姿も見られます。

写真は西陣の老舗ベーカリーの
カレーパン(大正製パン所)

まだだまある!
気になる町のキーワード

千両の絹が動いた町

かつて今出川大宮周辺には、生糸や織物問屋、金融機関といった関係業者が集まり、西陣織産業の中心地として栄えました。西陣織が幕府の保護を受けた江戸時代には、1日で千両を超える商品取引が行われていたとか。いつしかこの一帯を「千両ヶ辻」という名で呼ぶようになりました。

大正期の千両ヶ辻の町並み
提供/京都府立京都学・歴彩館

西陣のゑんま様

平安時代の官人で、閻魔様にも仕えたという小野篁卿が開基。亡くなった人間をあの世のどこへ送るかを決める裁判長・閻魔法王がご本尊で、現存する像は室町時代につくられました。通常は非公開ですが、参拝時に申し出れば案内とともに拝観することができます。

引接寺(いんじょうじ)〈千本ゑんま堂 〉
上京区千本通蘆山寺上ル閻魔前町 34 075-462-3332

洛中最古の寺院建築

上七軒より徒歩すぐのところにある「大報恩寺」の本堂は、鎌倉時代の1227年築。洛中最古の寺院建築といわれる国宝の建造物です。応仁の乱をはじめ、様々な戦火や火災を免れて今に残る姿は、寺を守ろうとした人々の信仰心の表れなのかもしれません。

大報恩寺(だいほうおんじ)〈千本釈迦堂 〉
上京区七本松通今出川上ル 075-461-5973

認定テーマ

  • 北野・西陣でつづられ広がる伝統文化
  • 山紫水明の千年の都で育まれた庭園文化
  • 世代を越えて受け継がれる火の信仰と祭り
  • 明治の近代化への歩み
  • 千年の都の水の文化
  • 京町家とその暮らしの文化
  • いまも息づく平安王朝の雅
  • 千年の都を育む山と緑
  • 京と大阪をつなぐ港まち・伏見
  • 京の商いと祇園祭を支えるまち