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世代を越えて受け継がれる火の信仰と祭り

今も昔も、人は「火」に
願いを込めて生きている

神社に参拝した時、火を灯してお祈りしたことはありませんか。家の台所や飲食店に貼られた「火迺要慎」の札。これが何を意味するのか知っていますか。人類が誕生して以来、人の生活に欠かせなかった「火」は、京都でも様々な祭礼や信仰を育み、世代を越えて今に受け継がれてきました。どんな歴史や文化が伝承されてきたのか、どんな人の想いが託されてきたのか…

火にまつわる歳時記を通じて発見しましょう。

左:鞍馬火祭 右:平野屋

火をめぐる文化民俗信仰

京都に息づく「火伏せ」の想い
愛宕信仰って何ですか?

「千日詣り」
一の鳥居そばの食事処・平野屋にはおくどさん(※)の横の壁にお札

自然災害や戦乱、火の不始末など、いつの時代も人を脅かしてきた火の災い。京都にまつわる歴史的な書物などにも、かつて町に大きな被害をもたらした火災の記録がいくつも残されています。多くの大火を経験してきた京の人々に古くから広まったのが「愛宕信仰」です。
京都盆地の北西部にそびえる愛宕山。その山頂に鎮座する大宝年間(701~704年)創建の愛宕神社。火の神を祀り、火災を防ぐご利益があるとして京都だけでなく全国各地の人々から信仰されてきました。とくに3歳までに詣でれば、一生火の難にあわないといわれています。
そんな愛宕神社へ一年で最も多くの人が詰めかけるのが、7月31日の夜から8月1日の早朝にかけて行われる「千日通夜祭」、通称「千日詣り」です。この日にお詣りすると、千日分の火伏せのご利益があるといわれ、中には幼い子どもを背負って歩く人の姿も見られます。
愛宕神社に詣でた人々がいただいて帰るものは、「火迺要慎」と書かれた護符。家の台所や店の厨房に貼ることで火災除けのお守りにします。消防団が山を登り、授かった護符を担当地区の世帯に配るという活動も、京都の多くの地域で行われている防火活動のひとつです。
いつまでも絶えることのない愛宕信仰は、京都市民の防火意識の高さのあらわれともいえるでしょう。

標高約900メートルの愛宕山は嵐山・渡月橋付近からもよく見える

愛宕山のふもとにある一の鳥居辺りは伝統的な町並みが残る門前町

愛宕神社へ続く山道。登山時は水分補給や服装にも注意

「千日詣り」では境内で山伏による護摩焚き神事や鎮火神事なども行われる

※「おくどさん」とは、京ことばで米や料理を煮炊きするかまどのこと。近くに護符を貼るのは今も昔も変わらない。

愛宕山愛宕信仰


の歳時記

はじまりは宮中行事1月15日頃(場所により日程は異なる)
左義長さぎちょう(どんど)

小正月と呼ばれる1月15日。この頃に行われるのが「どんど」と呼ばれる「左義長」です。門松や注連縄といった正月飾りを焚き上げ、一年間の家内安全や豊作などを祈願。元々、宮中で行われていた行事が民衆へ広まり、全国各地でも行われるようになりました。

新熊野神社(いまくまのじんじゃ)
上杉本洛中洛外図に描かれた左義長 所蔵 米沢市上杉博物館
早春の嵯峨の風物詩3月15日
嵯峨お松明さがのおたいまつ【清凉寺】

釈迦が入滅した(亡くなった)日に行われる「涅槃会」の晩、清凉寺境内に設置された高さ7メートルに及ぶ3本の松明に点火し、それぞれの火の勢いで農作物の豊凶を占います。本堂前には13基の提灯。おみくじの結果を元に高低差を付けて設置し、米や株の相場を占います。

釈迦の荼毘(火葬)の様子を再現した行事とされるが、愛宕信仰(P4)による火除けの儀式の名残とも


の歳時記

先祖の霊を送る8月16日
五山送り火ござんおくりび

お盆に迎えた先祖の霊をあの世に送るための民俗行事。はっきりした起源はわかりませんが、仏教が民衆に深く根づいた室町時代以降にはじまったといわれています。
「五山送り火」は、銀閣寺近くの大文字、松ケ崎の妙法、西賀茂の船形、金閣寺そばの左大文字、そして嵯峨の鳥居形の5つを指します。これらは各山の地元の人々によって担われ、火床の整備、松割木の確保など、当日を迎えるまでの準備は長期に渡ります。
多くの方の想い、祈りを込めて灯される厳かな炎は、精霊の道標として毎年夜空を明るく照らしています。その光景には「きれい」「すごい」と歓声をあげるだけではなく、手を合わせ心静かに祈ること。それが送り火のあるべき姿といえます。

江戸時代に刊行され人気を博した京都の案内書「都名所図会」。京都の名所や名物が紹介され、その中に送り火も描かれている。
お盆に灯る祈りの火8月お盆頃(場所により日程は異なる)
万灯会まんどうえ(まんとうえ)
六波羅蜜寺の「萬燈会」(8/8~10)

万灯は「数多くの灯火」を表す言葉。「万灯会」はその言葉通り、多くの火を灯して先祖の魂を迎える盆行事です。灯火の並べ方など、そのスタイルは場所により様々。平安中期の僧・空也上人創建の六波羅蜜寺では、密教の五大思想に基づき大の字に点火します。

洛北の空を焦がす炎8月中旬~下旬
松上げまつあげ

愛宕信仰に由来する「松上げ」は、洛北の山間地に伝わる行事。先端にカゴを取り付けた灯籠木を立て、火のついた松明をカゴに投げ入れ、点火後、灯籠木を倒します。防火と豊作の祈り、そしてお盆で迎えた先祖の霊をあの世へ送る精霊送り。様々な想いが込められた民俗行事です。

 
広河原の松上げでは高さ20メートルの灯籠木をクレーンで立てる


の歳時記

神輿の先導役10月上旬〜中旬
三栖の炬火祭みすのたいまつまつり【三栖神社】

約1300年前の壬申の乱で大海人皇子(のちの天武天皇)が三栖地域を通る際、住民が火を灯し歓迎したことにはじまるとされる祭り。直径120センチ、長さ5メートル、重さ1トンの大炬火は、宇治川に自生する葭で製作。約30人の男衆で担ぎ神輿の巡幸を先導します。

山里を包む熱気10月22日
鞍馬火祭くらまひまつり【由岐神社】

平安時代、御所の由岐明神を鞍馬へ遷した時の行列の儀を、神の霊験とともに後世へ伝えようとした鞍馬の住民によって受け継がれてきた祭り。神輿渡御の前に若者が担ぐ松明の迫力から「鞍馬火祭」として知られています。

祭りは世襲制の住民組織により運営
2匹の蛇現る10月23日に近い土曜日
岩倉火祭いわくらひまつり【石座神社】

氏子で構成された宮座という組織が執り行う石座神社の例祭。松明を灯して雌雄の大蛇を追い払ったという伝承に由来し、2匹の蛇に見立てた2基の大松明に点火。燃え尽きる明け方頃、神輿渡御がはじまります。


の歳時記

火の力に託す願い10〜12月(場所により日程は異なる)
御火焚おひたき
上杉本洛中洛外図に描かれた御火焚
所蔵 米沢市上杉博物館

火の神の力で心身を清めるという宮中や公家の邸宅ではじまった風習。現在は神社や寺などで護摩木(火焚串)を焚き上げ諸願成就を祈願。町内ごとの御火焚は少なくなりましたが、和菓子屋の店頭にはお火焚饅頭が並びます。

ご祭神が炎から生まれたという伝承を再現する意図もある貴船神社の「御火焚」
師走の風物12月頃(場所により日程は異なる)
大根焚きだいこだき

御火焚の系譜と考えられる「大根焚き」は寺院によっていわれも様々。了徳寺には、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の教えに感動した村人が大根の塩炊きをふるまったところ、束ねたすすきで「帰命尽十方無碍光如来」と書きお礼とした故事が伝わります。

了徳寺ではこの行事の正式名称を「報恩講」といい、食せば中風除けにもなるといわれています。その他、千本釈迦堂など多くの寺院で大根焚きは行われます。
新年の祈りを込めて大晦日夜~元旦
をけら詣りをけらまいり

境内で神火「をけら火」を火縄に移し、火が消えないように火縄を回しながら帰宅。その火を種火にして雑煮を焚けば、一年間無病息災で過ごせると伝わります。消火後の火縄は、火伏せのお守りとして台所に。

認定テーマ

  • 北野・西陣でつづられ広がる伝統文化
  • 山紫水明の千年の都で育まれた庭園文化
  • 世代を越えて受け継がれる火の信仰と祭り
  • 明治の近代化への歩み
  • 千年の都の水の文化
  • 京町家とその暮らしの文化
  • いまも息づく平安王朝の雅
  • 千年の都を育む山と緑
  • 京と大阪をつなぐ港まち・伏見
  • 京の商いと祇園祭を支えるまち