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山紫水明の千年の都で育まれた庭園文化

知れば知るほど面白くなる!!
庭園とその歴史

見る人に安らぎや感動を与える「庭園」。千年の都・京都では、時代ごとに貴族や武士といった様々な人物によって庭が造られてきました。京都の豊かな自然を活かし、その時々の思想や文化を反映した庭園は、時代を映す鏡のようなもの。
一方で、匠の技や美意識は、時代を越えて受け継がれ、さらなる技を生み出し、現代の庭にも活かされています。
この冊子では京都で受け継がれてきた庭園を、5つのキーワードでご紹介。最初に「二条城二之丸庭園」を事例に庭園を楽しみながら知るためのコツをご案内します。

京都の庭園の魅力を 再発見 しに出かけませんか。

写真/元離宮 二条城 二之丸庭園

歴史上の
人物から見る庭園

庭園の見方は十人十色。自由に楽しんでもらえればOKですが、その庭園が誰によって何のために造られたかを意識することでより楽しむことができます。では、二条城二之丸庭園(特別名勝)について、歴史をひもといてみましょう。

江戸幕府が開かれた慶長8年(1603)に、京都御所の守護と徳川家の京都の住まいとして造営された二条城。勅使の応対をはじめ、位の高い公家や諸大名らを接遇する場としても利用されました。家康にとって二条城に大規模な御殿や庭園を設け、来訪者に将軍の威光を示すことは当然の流れ。結果的に庭園の池や築山(庭の小高い部分)は巨大な御殿に釣り合う規模となり、それらに配された石橋や滝、石組なども存在感のある豪壮なものとなりました。
元来、二之丸庭園の眺めは、二之丸御殿に入室できる立場ごとに異なりました。将軍が大名らと対面する場である大広間(A)から眺める庭園は、いかにも豪壮で立派です。
一方、内輪の大名らとの面会に用いられた黒書院(B)からは、ソテツが印象的なコンパクトな眺めです。

寛永3年(1626)の後水尾天皇の行幸にあたって、3代将軍・家光は城内を大掛かりに再整備しました。天皇の后は、2代将軍秀忠の娘・和子(東福門院)。天皇が将軍の居城へ行幸するということは、当時の朝廷と幕府の力関係を示すものでした。二之丸御殿の南西側には、行幸御殿を増築。その結果、中庭的になった二之丸庭園は四方からの視野を意識して、近傍からの見映えもよくなるよう改修されたとみられます。
行幸御殿(C)からの庭園の眺めには、書や和歌をはじめ多様な文化に精通した後水尾天皇の審美眼を意識して、複雑に絡む築山と池の構成、一体感のある庭石の配置などの工夫がみられます。

庭造りに関わった人々

庭園に関わったのは、庭の持ち主だけではありません。受け継がれていくためにも、様々な人々の関わりが欠かせませんでした。二条城二之丸庭園に小堀遠州が関わったことは有名ですが、彼の役職は江戸幕府の中で殿舎や寺社の築造等を担う作事奉行。仙洞御所金地院の庭園も手掛けたとされています。その他、天龍寺や西芳寺などの庭園を手掛けたとされる夢窓疎石は、禅僧としてその思想を庭に表現。無鄰菴や平安神宮神苑の築造においては7代目小川治兵衛(植治)が、庭造りに当たりました。そんな彼らの周囲には、支援者とその家族、さらには庭園の利用者らがいました。各時代の情勢のもと、それぞれの時代に生きた人々の求めに応えてきたことで、庭園文化は受け継がれてきました。

キーワード1

荘厳な儀式と雅な宴遊のための場が庭園の源流
貴族・公家の庭園

大沢池の州浜 撮影/神崎順一
旧嵯峨御所 大覚寺国名勝

平安期以降、皇族・貴族の邸宅や離宮が寺院に転じる例があり、その一例が大覚寺です。境内の大沢池は、元々、平安初期に嵯峨天皇が、中国の洞庭湖を模して造営したと伝わる離宮の園池で、水際が海の州浜に似ていることが特徴。大沢池の水量が減ると、池の北東側に水没している州浜と岩島を見ることができます。

嵯峨天皇 大覚寺所蔵
神泉苑国名勝
神泉苑絵巻祈雨の段 神泉苑所蔵
※一町は約120m四方

神泉苑の敷地は、平安建都の際に天皇専用として造営された庭(禁苑)の一部に当たります。その敷地は八町(※)を誇りました。宮廷儀式や宴遊などが行われた禁苑には湧水による巨大な園池があり、その水は現在も神泉苑と二条城の外堀内で湧出しています。なお、地下鉄二条城前駅の構内では出土遺物などを展示。

平安期の神泉苑の敷地
京都御所

京都御所の紫宸殿南側に設けられた白砂の平地は南庭と呼ばれ、即位の礼など国家的儀式に用いられた最も公的で重要な庭です。植栽が「右近の橘」と「左近の桜」に限られるのは、樹木が催事を妨げないようにするため。なお、貴族住宅の主要建物・宸殿前にある儀式用の庭については大庭と呼びます。

京都御所即位の礼
提供/京都府立京都学・歴彩館
仙洞御所

御所の南東には、天皇を退位した上皇や法皇の住まいである仙洞御所と、皇太后や女院の住まいである大宮御所が一体となった大宮仙洞御所が所在します。江戸前期に後水尾天皇と東福門院(和子)のために造営。二条城の行幸御殿の一部が移築された建物群は火事で失うも、園池は造営時のまま遺されています。

提供/宮内庁京都事務所
桂離宮

後水尾天皇の叔父・八条宮智仁親王と智忠親王の親子二代により、八条宮家の別荘として17世紀半ばまで造り替えられながら成立。園池を中心として書院、茶室、四阿などの建物を園路伝いに回遊できる構成で、後世の庭造りに絶大な影響を与えました。なお後水尾上皇は、桂離宮に2度御幸しています。

提供/宮内庁京都事務所
修学院離宮

後水尾上皇が江戸幕府の支援により造営。万治2年(1659)に一応の完成をみました。二条城行幸から33年後、1回目の桂離宮御幸の翌年のことでした。山麓から中腹の一画に築かれた離宮は上・中・下の御茶屋で構成。山の斜面の下手に堤を築き、川水を導いた池を擁する上御茶屋の光景はとくに壮観です。

提供/宮内庁京都事務所

キーワード2

貴族・公家による庭園文化に武家の質実剛健さが融合
武家の庭園

等持院京都市指定名勝
霊光殿に安置された足利尊氏像
等持院所蔵

歴代足利将軍の墓所となったことで有名な臨済宗天龍寺派の寺院。金閣や銀閣と同様に鑑賞のための池庭が築かれています。室町幕府の衰退とともに一旦荒廃しますが、江戸初期に豊臣秀頼によって修造されました。現在の境内は、文化5年(1808)の火事の後、焼け残った庭園を中軸としてその10年後に再建。枯滝・石組・刈込樹木が造形的な構成の西池と、穏やかな起伏の丘と岩島をもつ自然な趣の東池が広がります。

西池
提供/等持院東池
醍醐寺三宝院国特別史跡・特別名勝
豊臣秀吉 高台寺所蔵

慶長3年(1598)3月、豊臣秀吉は醍醐寺で盛大な花見を開催。その直前に秀吉の指示で築造されはじめたのが三宝院の庭園です。同年に没した秀吉から庭造りを引き継いだのは同寺の座主・義演。特徴のある大きな護岸石を数多く用い、元和9年(1623)頃に一応の完成をみました。園内の藤戸石は、覇者のシンボルと呼ばれ、織田信長から秀吉に引き継がれた由緒あるものです。

藤戸石

キーワード3

仏教思想の影響の下、貴族や武家の接遇の場として発展
僧侶の庭園

仁和寺京都市指定名勝
宇多法皇 仁和寺所蔵

宇多天皇が仁和4年(888)に造営し、江戸期まで皇子皇孫が出家し住職を務めた門跡寺院です。門跡の僧坊である御室を今に偲ばせる御殿には北庭や南庭など複数の庭が造られました。特に北庭は、元禄2~5年(1689~92)に作庭されたと伝わるもので、園池を伴う庭園と茶室飛濤亭・遼廓亭の露地で構成されています。

提供/仁和寺
金地院国特別名勝
以心崇伝 金地院所蔵

元和元年(1615)、徳川家康は皇族・貴族を統制する「禁中並びに公家諸法度」を公布。この法度は、幕政に参画し黒衣の宰相と呼ばれた禅僧・以心崇伝が起草したと伝わります。崇伝の住居は南禅寺塔頭の金地院。南庭には、鶴島と亀島を擁した白州が広がり、その背後の築山の奥側には家康を祀る東照宮を築造。そこから崇伝の将軍家への忠義がうかがい知れます。

亀島 鶴島
龍安寺国史跡・特別名勝

旧来、方丈などの南庭は、京都御所の南庭のように儀式などを行うため空閑地としていましたが、龍安寺方丈の南庭では白州に五群の景石が配置されたことで空閑地が見事な石庭の景となっています。見る人によって解釈を違える景石の構成の妙は、とくに近代以降の庭造りに大きな影響を与えました。

石庭 提供/龍安寺

キーワード4

町衆の暮らしの中で庭が多様化
町衆の庭園

杉本家国名勝

天下泰平の世となった江戸期、庶民にも庭造りの光が当たり近代にかけて膨大な数が築かれました。杉本家住宅は明治3年(1870)から大正時代にかけて完成した町家。敷地内の建物の間には、玄関庭、洗い庭、台所庭といった生活に直結した機能を持つ庭と、座敷庭や仏間庭、露地といった接客を意識した趣向性の高い庭が併存します。

座敷庭
台所庭

キーワード5

民主社会の到来による価値観の変化が庭園文化へ波及
近代の庭園

無鄰菴国名勝
山県有朋
(公財)山縣有朋記念館
所蔵

明治維新の後、平安期から庭園文化を牽引してきた公家・武家といった階層意識が薄れ、近世までのルールにとらわれない庭造りが模索されました。そのあり方を示した人物の一人が第3・9代内閣総理大臣の山県有朋でした。山県が京都の居所として趣味と政治の両面で活用したのが無鄰菴。とくに日露開戦について伊藤博文らと行った無鄰菴会議は有名です。

植治の庭としても有名

認定テーマ

  • 北野・西陣でつづられ広がる伝統文化
  • 山紫水明の千年の都で育まれた庭園文化
  • 世代を越えて受け継がれる火の信仰と祭り
  • 明治の近代化への歩み
  • 千年の都の水の文化
  • 京町家とその暮らしの文化